友人が、106連敗の馬について書いているので、私も・・・
 
競馬って言うものは、英国貴族の遊びとして始まったものだから、そこには
採算度外視で名誉のみを追いつづける、って言う感じが取れます。
当然ギャンブルなんですが、それが更に大雑把ってイメージを与えます。
 
しかし、実際は違います。
ギャンブルでありますが、実際に出走させる側(馬主、厩舎、騎手、生産者)
にも、勝てば多額の賞金が支払われます。
しかし、出走させるまでには多額のお金がかかります。
(3歳でデビューだけど、それまでに1ヶ月20万円以上かかります、
 高い子馬を買う場合は数億円かかる場合も)
非常にビジネスライクにしなければ採算が取れない、採算度外視・大雑把なんて
とんでもないって世界です。
さらに、相手は生物で、工業生産品のように品質を安定することができません。
(生産では、どうがんばってもギャンブル性は取り除けません。
 しかし、サボれば100%結果を結ばないシビアな世界です)
 
儲けを生み出さない物は不良品として排除する、を実践しなければ、
競馬のシステムは成立しません。
馬主は道楽で走らせているのかもしれない。損をするのは馬主だけかもしれません。
しかし、競馬というシステムを維持するならば、その道楽が入り込む余地はありません。
 
更にいえば、道楽と見えることをしていることで、内輪うけで遊んでいるイメージを
無意識のうちに与えており、勝ち馬投票権(馬券)を購入してくれる一般人に
しらけムードが漂っているということはないでしょうか?
 
最新の販売業は雰囲気も提供するのが常識になっています。
高知競馬の関係者は、お客さんに提供する努力を行っていたのでしょうか?
 
システムを維持(あるべき姿にとどめる努力)をしていれば、高知競馬自体の
存続が危うくなり、廃止を論議することもなかったでしょう。
 
あの現象はすでに競馬ではないところの話であり、高知競馬の関係者は自分で
自分の首をしめているのだ。
「高知競馬は、内輪の世界を知らないとわからない、実力は関与しない
 純粋にギャンブルでないもの」
そう一般人に思われたら、高知競馬はそれを払拭しなければならないし、
払拭する気がなければ、つぶしたほうがいい。
税金で無駄な金を使うことはない。